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北条時行(ほうじょう・ときゆき、?~1353)。北条得宗家の最後の当主、北条高時の子。 「中先代」ともいいます。 北条時行は、鎌倉幕府滅亡の折、北条家の守護国だった信州・諏訪に逃げ込んだといわれています。 ...
<前回の記事はこちら→(1)、(2)>◆南朝への帰順北条時行の名が次に歴史上に現れるのは、中先代の乱から2年経った延元2年(1337)7月のことです。『太平記』によると、時
どうも、私鳳山はマイナーな人物が好きなようです。北条時行?そんな執権、鎌倉時代にいたっけ?疑問に思われるのもごもっともです。 ... 学校の歴史では、一行にも満たない記述ですまされる北条時行ですが、このような人物もいたのだと知って頂ければ幸いです。
... 1335年北条時行(高時の子)による中先代の乱の際、護良親王は足利直義の 部下(淵辺義博)により殺害された。 1873年、ここを訪れた明治天皇は境内の行在所で休みをとった。 その行在所の跡が現在の宝物殿・儀式殿。 ...
... そして北条時行による鎌倉攻めの際に、 尊氏の弟直義が家臣に命じて護良親王を殺害した、といわれている。 鎌倉宮では、護良親王が幽閉されていた土牢や 直義の家臣淵邊義博が親王の首を置いた場所と伝えられている所などが 公開されている。 ...